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153 名前: 酒類販売業(群馬県)[sage] 投稿日:2008/03/22(土) 20:56:38.62 ID:QfZsNuCZ0
欧米はプラスの文化で、日本はマイナスの文化だから。

英語を例にすると、
・他人に親切にされたとき、
 英語「サンキュー」(ありがとう、でプラス)
 日本「すいません」(なぜかへりくだる)

・英語「MEMBERS ONLY」(関係者のみ、でプラス)
 日本「部外者立ち入り禁止」(これもマイナス)

・ターミネーターの台詞
 英語「Come With Me If You Want To Live」(生きたかったら一緒に来い)
 日本語訳「死にたくなければついて来い」で、なぜかネガティブ。

等等。

ぺぺねた。 フランス人曰く 「日本人は簡単に謝りすぎ」 (via plasticdreams) (via we-will-win) (via mcsgsym) (via kasa51) (via edieelee) (via layer13) (via miyaalpha) (via next2501) (via zaiga)

私の理想としては、コーチには「教える」前に選手を「見ること」「感じること」が必要で、続いて話を「聞いて」相手の状態を理解し、最後にようやく「アドバイス」するというプロセスをたどるべきだと信じています。

 アドバイスは決して考えを押しつけるものであってはならないのです。あくまで選手の持つ能力を最大限に引き出すため、一緒に考えるための“助言”であるべきなのです。翌日から、コーチから放っておかれるようになりました。ただ、それは必ずしも悪いことではありませんでした。自分にとって理想のピッチングを追い求める日々の幕開けとなったのですから。

 自分1人で工夫して、理想の投球を追求するのは子供のころからの習い性でした。野球自体、父親から無理やりやらされたもので、ずっと嫌いなスポーツでした。

 小学生のころに頭の中にあったのは「早く人よりもうまくなってしまえば、残りの時間は自由に遊べる」というもの。それが動機になって野球に集中するのですから単純なものです。

「オレの言う通りやれ」への反抗 野球評論家 工藤公康 :日本経済新聞 (via katoyuu)

忘れもしない10年前、セーラー戦士役の最終オーディションで
歌や踊りなど何か一芸を披露する、という審査があったのですが、
ごくごく普通の冴えない高校生だった私は何も一芸を持ち合わせておらず
オーディション前夜まで何を披露するか決められずにいました。

就寝前、私はとうとう思い詰め、サツマイモを半分に切ってラップで包み
彫刻刀と一緒に鞄の中に入れました。
そして当日のオーディション会場では容姿端麗で、
歌やダンスやバレエ、新体操など才能豊かな少女たちに紛れ
もうどうにでもなれと惨めな気持ちで審査員の前で黙々と芋版を彫って合格しました…

田舎から芋を持って上京した17の私は現実に打ちのめされ
神戸までの帰りの新幹線では「落ちるなら芋で落ちた。」と何度も強く思いました。
今では、芋があったから今の自分がいる、と強く思っています。
芋版で合格にして下さったお心の広い白倉さん、田崎監督には今も頭があがりません。(笑)

DIARY | KEIKO KITAGAWA OFFICIAL WEBSITE (via joodle)
実はキリスト教には重大な欠陥があります。
それは宗教のあがめたる存在であるキリスト自体が神様ではなく「神の子」であるということだったんですね。
神様を直接あがめるのではなく、神様と人を繋いでくれている代行者たるキリストをあがめよと。
それによって神は人の言葉を聞いてくれる、そしてキリストは唯一無二の代行者であると。
(要するに人間寄りの神様の子に媚びることで、神様に「他の生命より人間を優遇してくれ」とお願いすると)

ところが日本では、神様は常に皆の上、皆の隣にいて、いつも皆を見ていてくれる、声も聞いてくれている。
唯一ではなく、いろんなものに神様は宿っていて、それぞれが持つ力で人を助けてくれる。
そして神の声を聞ける代行者は神主さんに巫女さんに虚無僧にといっぱいいるし修行すればだいたい誰でもなれる。

だからキリスト教が日本に来たときによくよく話を聞くと
「要するにキリストさまってのは神主様だっぺ?なんで一人だけしかいないんだ?それに神主様をあがめて
 どうするっぺよ。神主様はそりゃ~大事にするもんだけんど、祀るのは神様じゃないとダメだっぺよ」
となったそうです。


ちなみにオカルトな話ですが、外国の高僧が言うには「僧になれるのは民族の中でも一握りの選ばれた人間で、
まずその資格を持つ子供を探すのも我ら僧の使命。資格の無いものはいくら修行しても神を感じることもできない。
なのに、日本人は誰を見ても僧になれる資格を持っている。むしろなれない者を探す方が難しい。これはおかしい。
なぜ日本人と言う民族に生まれただけで資格が与えられるというのか。」ということだそうです。
(資格ってのは霊格とか神格とかいうものです。)
そして、資格があるということは普段から神を感じることができている、そこから矛盾する説明があると無意識に
見破ってしまう。
つまり神様関連については嘘(宣教師の誤魔化し)が効きにくいというところもあるそうです。

U-1速報 : 外国の高僧「日本人は誰を見ても僧になれる資格を持っている、なぜ日本人と言う民族に生まれただけで資格が与えられるというのか」 (via pointitblack)

何か話題を振ると

「それTwitterで聞いたよ」

って答える人間最近多すぎてげんなり.

俺は情報ソースやお前がいつそれを知ったかとかどうでもいいわけで.

話題に対する感想を求めているというのに得意げな顔して

Twitterで聞いたよ」

とかアホかと.ときどき

「それ,Twitterでだいぶ前から話題だよ」

とか言い出す.言ってるレベル

テレビで見たよ」

「2chで聞いたよ」

VIPスレ建ってたよ」

と同じレベルだというのが分かってないんだろうか.

おまけに意見を聞いてみたらずいぶん前から話題だったにもかかわらずろくな意見持ってないし.

INPUTとOUTPUTの間に何も無い感じ.

そういう人間って,割と情報の精確さよりも速度を求めてるとこがあって

情報価値が「正確さ×速度」だってことを分かってない気がする.

情報乞食というか情報亡者というか.

それ,Twitterで聞いたよ (via recycledloops)

okazu-shokudo:

ベイクド芋羊羹について少し詳しく書きます。これは舟和さんの栞にもホームページにものっています。オーブントースターで焼く場合は、アルミホイルに薄くバターを塗り(そのまま置くとくっつきやすいです)その上に芋羊羹をのせます。ほこほこを楽しみたいなら、これぐらいこんがりするまで焼くといいですよ。店主は焼きたてに小さなバターをひとかけのせます。バターをしいたフライパンで焼いても美味しいとも書いてあります。あつあつの芋羊羹にアイスクリームを添えてもたまらないようです。シナモンも合いそう!そのままでも、焼いてもたまらない芋羊羹、また食べたくなりました。

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